一休さんと言えば誰もが子どもの頃に絵本やテレビアニメなどで見たことあると思いますが、頭の回転が早い子どもで数々の難題を「とんち」で解決してしまうお寺の小僧という印象があることでしょう。
しかし本物の一休さんは本当にそのような人物だったのでしょうか?
子どもの頃は超真面目!大人になったら破戒僧!本当はとんでもない人物だった一休さん
実はこの一休さんのとんち話は後になってできたものだったのです。
確かに実際ではあり得ない「とんち話」ばかりなので本当にあったことを大げさに物語にしただけのものかと思えば、子どものころの一休さんとんち小僧ではなく普通の真面目な小僧であったようです。
一休さんの生い立ち
一休さんの本名は一休宗純で1394年(応永元年)に生まれした。
なんと後小松天皇の子という由緒ある家柄だったようです。
臨済宗大徳寺派の僧で応仁の乱で焼け落ちた大徳寺の住職としてその寺の再興に尽力したのです。
それだけ聞けばすごい人物のように感じますが、実は結構めちゃくちゃなことをやっていたようです。
大人になって本領発揮する一休さん!戒律なんて何のその!
子どもの頃、真面目にやっていた反動か大人になってからは酒や肉を食べて女と交わっていたという正に破戒僧と呼ばれる存在になってしまったのです。
酒池肉林に生きる不良坊主といったところでしょうか。
立派な鞘に木刀を携えて歩き、正月になると骸骨を持って挨拶周りをしたというかなりヤバい奴だったようですね。木刀の件はまだ冗談みたいなものですが、骸骨を持って挨拶に来られたら失神ものですね。
数々の奇行・蛮行で巷ではある意味「有名な僧」になってしまったのです。
そんな一休さんの奇行にもある意味が含まれていた
ただそんな事を繰り返しているようではただの頭がおかしい人ですが、一つ一つの行動には意味があったと言われています。
立派な鞘に入った木刀も「外見は立派でも実は中身はショボい」、骸骨を持った挨拶周りも「人間死ねば皆一緒の姿」というメッセージが含まれているのだとか。
それを見破れる人がいたかどうかは分かりませんが、このご時世になってまで名前が知られているのはこういった常識外れのことを行っていたことから語り継がれることになったのでしょう。
確かに「とんち」っぽい感じはしますが、家に骸骨を持って挨拶に来るのはやめておいてほしいものです。